@article{oai:shizusan.repo.nii.ac.jp:00000187, author = {中村, 羊一郎 and NAKAMURA, Yoichiro}, journal = {静岡産業大学情報学部研究紀要, Bulletin of Shizuoka Sangyo University}, month = {Jan}, note = {日本列島の太平洋側東北部に位置する陸中海岸には、リアス式の海岸線が織り成す多くの入り江がある。なかでも岩手県下閉伊郡の山田湾には、暖流に乗って回遊するイルカがしばしば「浦入り」をしてきた。湾に面した大浦集落では、これを網で囲って海岸にまで追い込んで捕獲する、イルカ追い込み漁が近世の早い時期から行なわれており、この種の漁法としては日本の最北端での実施例に位置づけられる。村内外の出資者が金本、村内の有力者が瀬主(網元)となり、集落全戸が参加して行なう大規模な漁であり、時には一度に数千頭の漁獲があった。盛岡藩には、年間五貫文の礼銭を納入して漁の権利を確保したが、藩も新規参入者を認めず村方を支持して漁を継続させた。漁の収益は全戸に配布され、公共の用途にも使用された。明治以降、岩手県の水産行政ではイルカ漁は坪外に置かれたため、漁は慣例に従って続けられていたが、いわゆる旧漁業法が施行されてイルカ漁の位置づけも明確になり、正規の漁業権が確立した。本稿では、この過程を史料に基づいて跡づけるとともに、村落をあげての集団漁労活動の意義と、漁民のイルカ観を考える。なお、大浦におけるイルカ漁は、大正期に入ってからは数回の捕獲記録を残すのみとなり、昭和以降は全く行なわれなくなった。, 19, KJ00004766787}, pages = {266--225}, title = {陸中海岸におけるイルカ漁の歴史と民俗(上)}, volume = {9}, year = {2007}, yomi = {ナカムラ, ヨウイチロウ} }